全ての判断はおもしろい物の見方2=古代インドの判断中止=

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菩提樹の木の下でブッダは真理を見つけた

 

「判断」「判断中止」「おもしろい物の見方」について、哲学と比較しながら自分が掘り下げたい部分をドドドと掘り下げていく2回目。前回の西洋哲学編はこちらから。

 

 

アレクサンドロス時代のインド

 

 西洋で「エポケー=判断中止」に基づいた「不可知論」の思想を打ち立てたのは、古代ギリシャの哲学者ピュロン(B.C.360年頃~B.C.270年頃)。

 当時のヨーロッパは、マケドニアアレクサンドロス3世(大王)(B.C.356〜323)が勢力を伸ばし、広大な帝国を築いていた時代でした。ピュロンはこのアレクサンドロス3世の東征に随い、インドではヨーガ行者たち、ペルシャではマギ(メディア王国で宗教儀礼をつかさどっていた祭司階級の呼称)たちに学んだと言われています。

 

 当時のインドは、都市国家が乱立している状態で、アレクサンドロス3世が制圧したインダス川沿いにもいくつかの国がありました。アレクサンドロス3世の死後、マケドニアは分裂しましたが、その頃インドでは初の統一国家マウリヤ朝マガダ国が誕生したといいます。一方、現在のインドにつながる思想や文化、階級制度はもっと以前からあり、B.C.1200年頃から編纂され始めたヴェーダや、バラモン(司祭)をトップとする厳格な身分制度が大きな影響を与えています。

 B.C.5C.になると、4大ヴェーダが完成し、バラモン教が宗教として完成しましたが、ガンジス川流域で抗争が続く中でバラモンの力が弱まると、クシャトリヤ(王族・武人)やヴァイシャ(庶民)が勢力を伸ばし、ウパニシャッド哲学がおこります。ウパニシャッド哲学は、バラモン教を否定する自由な思想として発展し、ブラフマン(梵)アートマン(我)をひとつにする梵我一如と輪廻転生からの解脱、つまり悟りを目的としていました。 そして、「六師外道」と呼ばれる自由思想家たちが活躍し、マハーヴィーラによってジャイナ教が、マッカリ・ゴーサーラによってアージーヴィカ教が、ブッダ(シャカ、ゴータマ・シッダールタ)によって仏教がつくられていきました。

 

*六師外道はこの解説が面白いです!

buddhismare.net

 

 また、現在のヨーガに続く『ヨーガ・スートラ』の成立はA.D.3C.〜4C.と言われていますが、ヨーガの最古の説明は、B.C.350〜-300年頃に成立したと推定される『カタ・ウパニシャッド』に見い出せると言われています。そして、その後A.D.4C.〜5C.に編纂された『ヨーガ・スートラ』は仏教思想の影響を多く受けているようです。

 

 では、ピュロンがインドで会ったヨーガ行者はどんな人物だったのでしょうか?

 

 

古代インドの判断中止と諸行無常

 

 これには諸説あるようです。吉嘉純夫さんの研究によると、ウパニシャッド哲学や仏教思想につながる人達だったという人も、「裸の哲学者」だからジャイナ教だという人もいるようですが、史料から読み取れるのはバラモン接触があったことだけだそうです。ただ、六師外道のサンジャヤ・ベーラッティプッタ懐疑論との共通性が強いことから、行者たちの会話からを聞いてヒントを得た可能性はあるとのことでした。

 真実は「判断中止」して進むしかなさそうですが(笑)、B.C.5C.にインドで、B.C.4C.にギリシャで「判断中止」という不可知論が説かれ始めたのは間違いありません。

 

 そして、インドで「判断中止」を主張したサンジャヤは、こんな問答をしていたそうです。

もしもあなたが「あの世はあるか」と問うた場合、わたしが「あの世はある」と考えたならば、「あの世はある」とあなたに確答するでしょう。しかしながら、わたしはそうしない。わたしはその通りだとも考えないし、それとは異なるとも考えないし、そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない。(『沙門果経』ディーガ・ニカーヤ)

続いて、「あの世はないのか」「あの世はあり、かつないのか」「あの世はあるのでもなく、かつないのでもないのか」の問いに同様に答え、善悪二業の報いは存在するか、如来(人格完成者)死後に存在するのかについても、同じように判断中止の態度を示し、明確な答えを避けた。

出典:サンジャヤ・ベーラッティプッタ - Wikipedia

 と、なんともつかみどころのない話ですが、それが響いてか?サンジャヤの弟子たちは皆ブッダに帰依してしまったそうです。あまりのショックにサンジャヤは血を吐いたとか、、、かわいそうに。

 

 六師外道と仏教の関係は切磋琢磨で、討論しながらしのぎを削っていたそうですが、仏教の思想の中にも、判断中止的な、結論を固定しない思想を見ることができます。

 

 ブッダは「釈迦の無記」といって、「世界の存続期間や有限性」「生命と身体の関係」「修行完成者(如来)の死後のあり方」といった仏道修行に直接関わらない・役に立たない問いに対しては回答・言及を避けたといいます。

 そして彼は、ありのままに見ることを重要視しました。ゼロを発見したインドにおいては、有と無は大きなテーマでした。しかし、ブッダはこれに対して異論を唱えます。物事はそれぞれがそれぞれの目で見ているので、立場によって違って見えるというのは当然のこと。故に、知恵を持って正しく見ることが大事であり、有と無という極端なものではなく、中道を選ぶことを説きました。

「あらゆるものが有る」というならば、
これは一つの極端の説である。
「あらゆるものが無い」というならば、
これも第二の極端の説である。
人格を完成した人は、この両極端説に近づかないで、
中(道)によって法をとくのである。
(マッジマ・ニカーヤ)

 

  そして、わかっている真理として、4つの真理を説きました。

「これは苦しみである」
「これは苦しみの起こる原因である」
これは苦しみの消滅である」
「これは苦しみの消滅に導く道である」
ということを、わたくしは断定して説いたのである。
これは目的にかない、心の平安、すぐれた英知、
正しい覚り、安らぎのためになるものである。
(マッジマ・ニカーヤ)

 この4つの真理は、瞑想によって体験し、知ることができるというのが、私の体験からの知です。

 

 4つの真理を正しく見ることは、諸行無常、つまり、すべての物質や現象は常に変化していることを正しく見ることと言うこともできます。移り変わるものを止めようとしても、名前をつけても、その時にはすでに存在していないのですから、感覚や思いや考えをそこに留め続けることもできない。だから、そんな消えゆくものを論争しても、止めるためにどんなに力を注いでも徒労に終わり、全く無駄になる。世の苦しみはそれを知らないことから起こるって言っているんですね。

 そして、「我でない(非我)」が主張されました。これは、物事は互いの条件付けによって成立し存在し(縁起)、無常であり変化し続けるため、「我」「我がもの」などと考えて固執してはいけない。「我」への執着を打破して真実のアートマン、真実の自己を実現すべきという思想です。

 諸行無常を知り、物事を正しく見ることができれば苦しみは消えていく。そのための修業はするが、苦行は必要ないというのがブッダの確立した悟りへの道でした。

 

 ブッダの教えを端的に表現した映像がありましたので紹介しておきます。さすがダライ・ラマ法王。仏教の科学的な部分を短い言葉で表現されています。

www.youtube.com

 

 このように、判断中止を行いながらもその先を解いたことが、仏教が独自の世界観を持って広がっていく原動力になったのかもしれませんね。

 

 

リンク埋め込み以外の参考

インダス文明と諸王朝(カースト制、マウリヤ朝、クシャーナ朝、仏教成立など) 受験対策問題 14 / 世界史 by レキシントン |マナペディア|

インドの歴史 - Wikipedia

ブッダを語る�G毒矢のたとえ

 

 

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futuretrippers.hatenablog.com