「選択」は思考と直感と超えて

「選択」は考えてするものでも、直感でするものでもない

 

 近頃の私は、今までないくらいに思ったことを言って過ごしています。それが、ものすごく快適🎶。いろんな思いが自分の中を通り過ぎていっていて、まさに「物質は粒子の集まりでできている」を体感中なんですよねー。今日はそのお話です。

 

 この快適さを生んでいるもののひとつが、厭わないこと。厭わないというのは、抵抗なくむしろ喜んで物事に取り組むこと。これもまた全肯定から始まります。

 

 具体的に話すと、何かに対して湧き上がる自分の思いや考えに「ヘーーーー」っていうこと。「そうなんだーーーー」って、湧き上がって来る感情に同化しないで見ていること。過去の自己参照データから「〇〇するのは嫌だ!」と判断しないで、今湧き上がっている自分自身の素の思いを抵抗なく受け入れて、過去の経験から生まれてくる判断を適応しないで、そのままにしておくんです。そうすると、「〇〇するかもしれないからそれはやりたくない!」という気持ちが消えていき、「そう思っているんならいいんじゃない?」って、なんの抵抗もなく自分に言えるようになるんですよね。たとえそれが思ったこととは違う結果を生むことであったとしても、近頃の私は、そこに恐れなくそれに飛び込んでいけるようになってきました。

 

 でもそれは、思考で考えている間はなかなかうまくいかなかったんです。さらに、思考の逆だと思っていた直感でさえもまた、今みたいな爽快感は生まれませんでした。そしてそんな自分の中の過程を観察していくうちに、私は知らず知らずのうちに過去の経験が生んだ思考パターン、行動パターンで動いていたんだと気づいたんです。つまり、考えて選ぶ時に基準にしがちな「こうれはこういうもの」も、直感で選ぶ時に基準にしがちな「これが私」も、過去が生んだ産物だったんですよね。それはつまり、自分で自分自身を見えない檻に閉じ込めているというか、無意識に制限をかけている状態でした。その固定概念がある限り、自由だと思っていることが実際はものすごく不自由だったんです。

 

 例えばこんな言い方だとイメージできるでしょうか。多様性を話す人が自分と違う意見の人を否定していたり、平和を謳う人が批判的だったり。

 私は、そのイライラの源は、その人の中にある矛盾に対して、その人の本質がNOを言っているから生まれるんじゃないかなと思っています。ガンジーが言っていましたね。「あなたがその変化になりなさい」と。望む変化と自分が一致していれば苛立ちは起きないし、一致していなければ不協和音が起こる。もし一致しているのであれば、今あなたがいる世界は、理想に向けてどんどん変化していくはずです。 

 

 そして、自分がその変化になるためには、変化するという「選択」が必要です。

 

 以前の私は、選択するっていうのは、言動や考えや感情を選ぶことだと思っていました。でも、そうではなかったんですよね。感情や思考の生まれる感覚をジャッジしないで見ていって、その感覚をどんどん細かく見ていくと、言動や考えや感情を選ぶことは選択された後の結果だってことに気づいたんです。本当に自由な選択というのは、自分の言動や考えや感情の元になっている粒子を選ぶことでした。そうすることで、自分だと思っている自分はどんどん変化していくし、その変化を限定するものは何もないのだということがよくわかるようになってきたんですね。

 

 選択を、自由に、本当に自分に制限なく行っていくためには、すでに生まれている思考、感情、感覚に対して苛立ちや否定的な感情を持つことは全く役に立たないどころか、ものすごく邪魔になるんですよね。その自由を邪魔しているものがいわゆる「自我」です。「自我」を否定したり抵抗したりすることはさらにそれを強めてしまいます。

 

 だから、自分に対してYESであること、無防備であること、寛容であること、敬意を払っていればいい。難しい? いえいえ、そんなことはないですよ。まず難しいって概念を捨ててしまえば変化が生まれて生きます。

 

ただそれを選ぶだけです。

 

 

ではまた。