変化を進めるもの、止めるもの
エナジーが動くっておもしろい
引き続き、『ビーイング・ユー・チェンジング・ザ・ワールド』を読んでいます。昨日も書きましたが、この本は今の私にいろんな変化を生み出してくれています。自分のエネルギーがどんどん変化していっていて、体の中からエナジーが湧いてきているのを感じているんですが、本を読んでこんな変化を感じるのは初めて。不思議な感じですね。なんだか元気になってきてるぞ。^ ^
今日はリレーションシップに関するところを50ページほど読んだのですが、冒頭がとても印象的で、自分に染み込むまで何度か繰り返し読んでいました。
大事なことの一つ…
…私達は皆、自分の変化を止めてしまいます。そうすれば、他の人との繋がりを失わないで済むから。
これは、私たちが自らに課している、最も大きい制限の一つです。
ただそこに意識を向けてください。
変化を選択することで、変化を願っている周囲の人達への誘いになることに、あなたはもう気付いているかもしれません。
それが彼らとの繋がりを変えたとしても。
私は【変化】と言いました。違ったものになります。
変化とは、その人達を失うということかもしれないし、そうでないかもしれません。
変化を望まない人達は、大抵、あなたの元をただ去っていくでしょう。もしくはあなたを非難し、ただ去っていくでしょう。
本当に変化を願う人達は、絶対にあなたのせいにしません。彼らはこう言うでしょう。「あれ、どんなことをしているの? 前と全然違うよ。私にもそんな変化が得られるかな?」
あぁ、そしてあなたは、じっくりとこう考えるでしょう。
誰と一緒に戯れ、誰のために時間とエナジーを使い、気配りしたい?
それは、あなたの変化に抵抗している人達ですか? それともあなたの変化に刺激を受けている人達ですか?
すぐに理解はできないけど気になるというのは、自分にとって必要なことが書かれているということ。この文章とこの章全体が私にとって意味があるからです。そして、今読んでいて気になっているのなら、きっとあなたもそうでしょう。
続きが気になる?
ここで詳細をまとめて書くこともできるのですが、それはきっと、役に立たないと思うので、やらないでおきます。どうしてかというと、文章の内容よりも、その文を読んでいる時に感じるエナジーが大事だから。
大事なのは頭で理解することではなく、プロセスを経ながらエナジーを感じ、変化に気づいていくことなんですね。
それが、今回この本を読んでとてもよくわかりました。人は、言葉や人や出来事に触れながら自分のエナジーを感じ、それが他の人にとってどうなのかではなく自分にとってどうなのかに気づき、良い悪いの判断をせずに受け入れていくことで変化していくんですね。
これを実践、実行していくための方法として紹介されているのが、アクセスの中でもとてもベーシックな方法。次の5つのステップです。
①要求する
②問いかける
③魔法の杖を振る
④選択する
⑤全てを受け取る
これはアクセス・バーズのクラスの中で紹介されています。興味のある方はぜひクラスを受けてみてください。
自分の中の概念がどんどん変わっていきますよ。そして、現実も。
あ、最後にひとつご報告です。
昨日お伝えした、旅で見つけた宝物を持ち帰るか悩んでいた人は、無事に持ち帰ることができたそうです。自分のために最善の選択ができた彼女。これからどんな変化を起こしていくか楽しみです。
それでは。
山田正彦さんタネの講演会・阿蘇 2019.6.30
*Facebookに載せていた記事が好評だったので転載します。
しばらく体調不良でお預けでしたが、居てもたっても居ら
ひとことで言えば #最高
JA主催で市民グループがサポートってのも #最高
地方議会の議員さんも参加で #最高
詳しく知りたい人は以下の長文読んでね。
内容の要約
【1】食の安全に関する世界の流れ
「遺伝子組換作物(GMO)」と、発ガン性が認められて
だから、世界ではモンサントはすでに終わったと思われて
<世界は自国の農業保護やオーガニック農産物の推進へと
しかし
<日本はその流れから完全に置いていかれている>
ラウンドアップはホームセンターで売られているし、店内
【2】実情
①日本は農薬やGMOの規制が緩い
・農薬の代名詞のようにいう中国でも、日本より厳しい農
・7月から市場に出回ると言われているゲノム編集食品も
・アメリカ産小麦の残留農薬に発がん性物質グリホサート
・国会議員の頭髪から体内の残留農薬チェックをしたら、
・TPPではGMOや国産の記載ができないような圧力が
(私見)→どうしても日本に売りたい人達と、それをまる
②世界の主流はオーガニックへ
・アメリカでは普通のスーパーにオーガニック食品が普通
・韓国では補助金制度などでオーガニックの推進が目覚ま
・韓国では輸出用農産物はオーガニックじゃないと売れな
③実は農家への補償制度は当たり前
・ヨーロッパの農業は収入の8割を国が補助している。
・韓国では有機農産物の生産に対して補助金が出る。
・アメリカ小麦の価格が安いのは、政府が農家に補助金を
④GMO栽培に関するリスク
・GMOの種は農薬や化学肥料とのセットでの購入が条件
・農家が生産のリスクを負う不公平な契約になっている。
・日本人には英語の契約書という語学的ハンデもある
・交雑した場合は訴えられるなど、周辺農家にもリスクが
【3】日本が直面している問題
①種子法廃止の問題点
今まで自治体で管理していた主要穀物の種を自治体管理を
・国内で原種の保存ができない
・企業に登録されてしまうと自家採種できない
・日本で品種改良してつくった種も品種登録した企業から
・価格が高騰(4−10倍)
・自家採種できない種を毎年購入
・種の生産を国外に依存(野菜の種は90%が外国産)
*世界の種生産の7割を6大GM企業が生産している。種
②種子法廃止が生み出すもの
・巨大企業による種の支配=食(命)と経済の支配
つまり、こんなことが起こる危険性がある。
<安全な食を手に入れるのが困難になる>
<栽培の自由と種の多様性がなくなる>
<種の権利をもつ巨大企業に吸い上げられ続ける>
【結論】
安全な食を確保していくためには、自国でつくってきた種
【解決策】
<各自治体で種子を保護する条例を作ること>
そうすればISD条項など国際条約に関係なくタネを守れ
(有効な理由)
*民主党時代に成立した「地方分権一括法」は、国からの
*国際法は憲法の次に位置付けられ、国内法より効力を持
*国内法と条例は同格に位置付けられる。
(条例制定、または検討中の都道府県)
・18年度に制定
新潟、富山、兵庫、山形、埼玉、北海道
・19年度中に制定、または検討中
岐阜、長野、福井、宮崎、滋賀、宮城、鳥取、栃木、岩手
〜以上〜
しかし、日本国内の情報隠蔽や統制があまりにも酷すぎる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんなにも、日本だけがおかしいのはなぜ?
国の体制はどう変えられる?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、問いかけずにはいられないお話でした。
あーー、腕痛くてPC打てないのに書いちゃったよ(笑)
#種子法 #種子条例 #オーガニック #nonGMO #山田正彦
エネルギーを伝える本=ビーイング・ユー、チェンジング・ザ・ワールド=
昨日まで書いていたことが答えとなって現れる
今日は飯田高原のマルシェにアクセスで出店するつもりだったんですが、まさかの風邪。少し熱もあり、お休みすることにしました。久々にお仕事しながら友達とのんびり遊べるかなって思っていたので残念でしたが、行けなくなったかわりに、寝ながら数日前に届いたこの本を読んでいました。
『ビーイング・ユー、チェンジング・ザ・ワールド』
著者はアクセス・コンシャスネスの共同創設者、Dr. デーン・ヒア。2012年に出版された本で、アクセスの中では基本的な書籍といえるのですが、なかなか興味が出なくて今まで読まないでいました。
何しろ、私、あんまり本を読まないんですよ。文章書く仕事のくせに!(笑)
ネットの時事記事チェックは好きなので、ものすご読んでますけど。
で、届いてみたら、厚さ2cm、500ページに迫る存在感のある本でした。興味のないものは届いてもとことん読まないので、読めるのかなあって思ったんですが、いざ読み出すとスラスラ読める。
興味がある内容というのももちろんあるんですが、なんだかこの本、本から著者のエネルギーを感じるんです。文章がどうとかそういうことではなく、ページを開いて文字を目で追っていくと、言葉がこちらに近づいてくるんですよ。書いたその人が私に語りかけるような感じで。
こういう伝え方もあるんだなー。
そして内容は、昨日までブログに書いていたことをおさらいするような内容でした。
物質は塊だけど塊ではないこと、エネルギーは体を超えて広がっていくこと、概念が現実をつくっていること、限界は自分が決めていること、自己批判や過去に蓄積してきた習慣によって決めている自分はいつでも変えることができること…。アクセスのことを書いていたので当然って言えば当然なのですが、答えって、こうやって目の前にやってくるんですよね。
そんな感じだったので、読みながら寝落ちして、起きたらまた読んでを何度か繰り返し、気づけは1/3くらいまで読み進んでいました。
そんな時に、以前アクセス・バーズのクラスを受けてくれた方からSOSの連絡が。
ワクワクを思い出せ
それは、旅先で見つけた宝物を持って帰るかどうかで悩んでいるという相談でした。彼女はワクワクしながら見つけたその宝物を持って帰りたいのだけど、それはひょっとしてよくないことなんじゃないかと悩んでいたのです。ちょっとしたことなのですが、彼女はすっかり悩みのループにはまってしまい、ああしたらこうなるかも、こうしたらああなるかもといろんな可能性を考え、自分がそれを実行したら他の人がどう思うかを考え、最初のワクワクが悩みの苦しみへとすっかり変わってしまっていたのです。
すっかり、自己批判と自己悲観の嵐。思考の癖で、ワクワクよりも苦しみの方へ反応するようになっていて、その思考回路から抜け出せなくなっていました。これには、彼女が子どもの頃からの経験で、自分が楽しいと思うことを選べないできたことが関係しているようでした。そして、自分がワクワクしながらその宝物を見つけたことすら忘れてしまっていました。あるのはただ、苦しみと悩みだけ。
こういう時は、まず、考えないこと、思わないことを勧めます。思考を止めて、思考の無限ループに入るのを止めるんです。
それから問いかけます。自分は本当はどうしたい? 望む状態になるには? というように、自分で結論を探すのではなく、問いかけながら答えがやってくるのを待ちます。
すぐに答えが欲しい時は、感覚を使って判断することもあります。その言葉やイメージを感じて、軽い方を選ぶんです。ポイントは、そのエナジーになること。自分を、ありたい姿や現実になった時をイメージしたエナジーに変えることで、その現実を起こしていきます。
これは、地図を見ながら歩いている時、向かっているところが自分が行きたかった場所とが違うことに気づいて新しく目的地を設定するような感覚かな。先に結果を知っておくと迷わずにそこにいきやすくなるって、そんな感じです。いつもの思考回路にはまってしまうと、どうやっていくかに意識が向けられ、もともと自分が行きたかった場所を忘れてしまうことが、あるんですよね。
そんな話をしているうちに、彼女は自分にワクワクがあったことを思い出しました。そして、何を選んでも間違いはないし、自分には自分が楽しいことを選ぶ選択肢があるということに気づいてくれました。どうするかは明日の朝家族と話して決めるということですが、スッキリした様子で電話を切りました。
もう大丈夫。大事なのは、自己批判をやめて「自分にOKを出す」こと。それができれば、どんな結果でも受け入れることができるでしょう。
そんなことを書いている間にもうちのニャンコ達は、2匹でクモを追っかけたり、ムカデを追っかけたり(笑)。真夜中のハンティング、お疲れさん!
痛みは自分のものじゃない3=外にある感覚を感じた時に役に立つ方法=
全ては影響しあって存在している
人間って、体の外にあるいろんなものを感じながら生きていますよね。気温や湿度、光や熱もそうですし、気配や思いも。それは不思議なことではなく、自然現象の1つだと私は思います。少し私の例をあげながら説明していきますね。
私の場合は、特に植物とシンクロしやすいところがあり、雑草を抜くのがかわいそうだったり、草刈機でザーッと切っていくのが苦手だったりします。まわりの自然環境からの情報の方が多いくて、つい野菜がかわいそうなことになったりして。野菜に厳しく育てすぎてるかなあー(笑)。自分が得をするために先住民の彼らを駆逐するのをなんか悪いなあって思っちゃって、得意じゃないんですよね。あー、変な人かもしれないですねー(笑)。
それから植物に限らず常にまわりの気を感じているので、無意識だったり意識的だったりで、相手や周囲の思いを感じてそれを優先しようとする癖があります。だから実は、自分の思うようにデザインしたり、作っていくのが、あまり得意ではありません。相手のやりたいことと自分のやりたいことが混じってわからなくなったりすることも、結構ありましたねー。周りからは好き勝手にやっていると思われているのですが、周りが気づかないように気を使うのがいいと思っていたところがあるので、実は…なんてこともあったりしてねー(笑)。
コミュニケーションをとっている時に、言葉や表面に現れていることとは違うその人のエネルギーを感じ取る時があるので、笑っている人を見ても悲しみや孤独を感じたり、泣いていル人を見てもすごく怖かったり、強そうな人を見ても優しいなと思ったりします。もちろん全てがわかるわけではないし、全然伝わってこない人もいるのですが、時には、その人自身も自覚していなかったり隠そうとしていることに触れることがあったりして、会話が噛み合わなかったりすることもありますね。人から見ると不可解なコミュニケーションをしていることが、結構あるかもしれません。
まわりから見たら、あいつ馬鹿なことやってるなって見えることが、こんなことから起きていたりしたんですねー。えへ。
バリアを下げると世界が変わる
こんなことが日常的にあるのですが、これで困るのが、
と、ここまで書いて、ああそうだったとこんな言葉が浮かんできました。
私、それを感じないようにしたり、否定しようとしていました。 😅
できるだけ他の人と同じように反応しようとしていたみたいですが、でもね、できないんですよね。
意識して抵抗したり拒否すればするほど、それは消えていかないんです。無意識がそれに囚われてがんじがらめになっていくんです。そして、その外からキャッチした感覚が私のものになり、より強く影響を受けていくんです。そして次第に、それが外からきたものだってこともわからなくなってしまい「私」がどんどん大きく重たくなっていきっちゃうんですよね。
それを手放していくのに役立つのがこれでした。バリアを下げること。
これはアクセス・コンシャスネスで教えてもらった方法ですが、やり続けているとものすごく楽になってきましたよ。
よく聞く方法とは全く逆ですし、え、大丈夫なのって思っちゃうかもしれないですね。人混みに出る時に外の気が入らないようにガードするとか、自分に必要な気だけを取り入れるようにするとか、私も指導してもらったことあります。でも、それはその時だけはいいのですが、長くは続かなくて十分に機能しませんでした。
それとは逆に、抵抗せず、穏やかな気持ちでいて、自分のエネルギーが外に広がっていくのを感じていると、身体はどんどん軽く、気分はどんどん明るくなっていきます。当然外にある振動も自分に伝わってくるのですが、それに対して拒否感や恐怖を持たないで「ただのおもしろいものの見方」と思っていると、スーッと通り過ぎていってしまうのです。そうすることで、自分の中にあった同じような振動も一緒に去っていくことがあります。そうなると、ほんと、快適ですよ〜。最初はちょっと怖いかもしれませんが、やってみるといいと思います。
痛い時は、痛みだけでなく痛みに付随する苦しみや不安過去の思い出などが頭の中で走馬灯のように繰り返されますが、そういうのから自由になるのに、ものすごく役に立ちます。最初は痛くてそれどころじゃないですが、少しずつ時間を増やしていくと、痛みによる支配が減っていきますよ。
アクセス・コンシャスネスでは、痛みの99%は他の人のもの、または他の誰かのものと言われています。痛みを痛みとして定義づけ、固定化し、概念として強く固まってしまったものをすぐに溶かすのは難しいかもしれませんが、自分自身のバリアを下げて自由にしていくことで、変化を起こしていくことは可能です。私はバリアを下げるというのは、「自我」「私」の囚われから自由になることと同じかなと思っています。
だから、変化のスピードは人それぞれ。早いから良くて遅いから悪いというわけではありません。何故ならそれは、あなたがあなたらしく生きるために起きていることなのだから。そして、それを起こしているのはあなた自身の選択。
だから悪いことなんてなーーーーーい! 自分のペースで進んでいけばいいんです。アクセスにはそれを進めていくツールがたくさんあるので、いろいろ試しながら楽しんでいます。
ちなみには今年、頚椎ヘルニアで3ヶ月半寝込んでいましたが、それを大きく改善するきっかけになったのは「エンティティ・クリアリング」でした。詳しくはこちらから。
アクセス・バーズのセッションについてはこちらから
痛みは自分のものじゃない2=量子力学とスピリチュアル=
真実は同じ。ただ言葉が違うだけ
昔、科学が発達していなかった時代、人々は自分の体を使ってあらゆる情報をキャッチして活用してきました。科学が発達するにつれ、科学で証明されないことは真実ではないという概念が広まり、それまで自然と一体化していた人々の感性は、自然と分断され、その力を失っていったんですね。
しかし、科学はもともと、物事の理や自然の法則を解き明かすために発明されてきた学問です。だから、まだ科学で解明できていないことはたくさんあるし、科学で証明されていないから真実ではないというのは本末転倒もいいところ。世界は今見ているものよりずっと広〜〜〜い!のです。
目に見えない世界を科学的に解明するのに大きく貢献しているのが量子力学。量子力学の世界は、物質と波動やエネルギーのことを科学的に探求し、瞑想や第六感の活動を科学的にわかりやすく表現しています。すごくシンプルに説明すると、物質は分子の周りを回っている電子の活動によって決まっていて、同じ周波数、波動を持つもの同士が集まって作られているということ。人の体も同じ。なので、瞑想をしながら体を観察していくと身体中に電気のような感覚を感じるのは自然なことだし、その振動は体の中だけにとどまらず広がっていくので、感覚が鋭くなれば誰かの考えや感覚を第六感的に受け取ることも可能になります。
かつての巫女やシャーマンは特にその力が強い人達だったんでしょうね。それが人間だけでなく自然界全体に向けられていたので、彼らは目に見えないものを見たり、天変地異を察知したり、未来を予測したりすることができたんだ思います。そしてそれが、科学で情報を知ることができない時代の人達の大事な生命線だったのではないでしょうか?
これを解明しようとしてきたいろんな宗教や修行法、精神世界のメソッドなどがありますが、それらは全て科学と同じように世界を解明し、よりよく生きるために開発してこられたものなのです。違うように見えて、実は起きている現象は同じ。それを発見した人達が、その人の近くにいる人達にわかりやすく説明するために、その人達の生活や文化や思想に合わせて言語化されたものにすぎません。
だから、最初から争う必要はないのです。
みんな、もっと世界を知り、よりよく生きたいという思いから生まれたものなのだから。
境界のない世界へ
人間は身体、心、思考、感覚でできていると私は考えていますが、人間は肉体的、精神的活動をすると、身体の中に振動が起こります。それが、波動とかエネルギーと呼ばれるのですが、この振動は、細かく見ていくと、肉体の垣根を超えて世界中に広がって生きます。なので、誰かの生み出した振動をあなたがキャッチして影響を受けることもあるし、その逆もまたあるのです。そしてそれは、肉体、心、思考、感覚の垣根なくお互いに影響し合っています。ですから、心の活動から肉体が病気になることもあるし、怪我や痛みから精神的なダメージを受けることもあるんですね。さらにいうと、そこには「私」という仕切りも、「あなた」という仕切りもなく、ただつながっている世界があるだけ。
ですから、例えば、今あなたの肉体が感じている痛みも、実は他の誰かのものだったり、他の何かのものだたり、地球や宇宙のものなのかもしれません。そうであるなら、それはどんどん変化してやがてなくなってしまいます。
しかし、痛みは痛みとして、そこにありますよね。だって、痛いんですから!(笑)
その痛みを固定化させているのが「私」という概念なのです。「私」という強い仕切りがある限り、そこにある感覚は固定化され、名前がつけられ、良い悪いの判断がされ、ますます強くそこに居座るようになっていきます。その固定化された感覚への反応を手放した時、精神は痛みから自由になり、肉体もまた変化していきます。
私たちは一見、いろんなものに区切られて生きているように感じていますが、実は肉体的にも精神的にも垣根のない世界に生きているんです。そして、「私」という概念から自由になった時、その全てが変化していきます。私が体験したヴィパッサナー瞑想やアクセス・コンシャスネスもその変化を生み出す手助けをしているし、いろんなメソッドがそのやり方を示していると思います。だから、いろいろ試してみて、自分が一番しっくりくるものを選んでやっていけばいいと思います。
痛みは自分のものじゃない3に続く。
あなたが幸せを選んでも地球は回る〜映画「天気の子」〜
マヤ新年をまたぐこの3日間、時間を外した日を挟んで大晦日と元旦に同じ映画を観に行った。今までどんなに感動した映画だって2回映画館に行ったことなんてなかったので、自分でもびっくり。あんなに感動したボヘミアンラプソディーでも1回だけでだったのに。不思議。
その映画は「天気の子」。「君の名は。」の新海誠監督の3年ぶりの新作。
特に楽しみに待っていたわけでもないんだけど、2日とも自然に体が動いたような感じだった。2回観た後に出てきた感想は「懐かしい感じ」だった。
私は何を知りたかったのだろう? そう問いかけると、
誰も犠牲にしなくていい。
自分の心に正直に生きればいい。
勇気は優しさや幸せのために使えばいい。
そんなふうに
世界は回っていけばいい。
そんな言葉がやってきた。
(この先はネタバレ有りなので、映画を先に見たい人はまた後で)
美しさの中に織り込まれた歪み
<ストーリー>
映画の舞台は2021年の東京。主人公は島に暮らす16歳の帆高。彼は雨が降り続く夏に、フェリーに乗って東京に向かう。家出少年の帆高はネットカフェに寝泊まりしながら仕事を探すが見つからず、フェリーの中で出会った 須賀のところに転がり込む。須賀の編集プロダクションで「晴れ女」の取材をしながら東京の暮らしが始まるが、ふとしたきっかけで、小学生の弟と2人で暮らす少女・陽菜と出会い、次第に東京の息苦しさから解放されていく。そして、陽菜のもつ「100%の晴れ女」の力を使ってお天気で仕事をすることを提案して仕事は大成功するのだが、陽菜の身体には徐々に変化が生まれてきて…。
この映画には、いくつものメッセージが織り込まれていると、私は感じている。
「君の名は。」同様に繊細な風景描写が美しく、東京の風景が見事に再現されていた。そして、踊るように跳ねていく雨の映像。雲の動きと光の変化。風の音が聞こえてきそうな木々の揺らぎなど、期待を裏切らない映像美の世界が広がっていた。
しかし、美しいと同時に、帆高の「東京ってこえ〜」というセリフが現すような、独特の生きにくい社会も風景として描かれている。ネットカフェ難民、風俗店のスカウト、事件、児童施設…。帆高の家出や陽菜達きょうだいが2人で暮らしている理由など、その人達がなぜそうなっているのかは全く描かれていないが、それがまた、他人の事情に深入りしない東京らしくもある。
帆高は東京に来たばかりの頃、いく場所もなく、知っている人もなく、バイトも見つからず、野宿を決め込む状態。そんな彼を救ってくれた須賀や陽菜達との出会いから、彼は変わり、息苦しさがなくなっていく。それは、人は人と関わって初めて「居場所」ができ、呼吸ができるようになり、安心して生きられるようになると表現しているようだ。 そして、物語の本題は、天気を治療する力を持つ陽菜の「100%の晴れ女」を軸に展開していく。
日本には昔、破滅的な自然現象が起きた時に誰かを神に捧げて危機を回避するという「人柱」の風習があった。それが、陽菜の「100%の晴れ女」にも関係し、陽菜は空へと送られてしまう。誰もいない雲の上の美しい世界に。すると、大雨だった東京はすっきりと晴れ上がり、突然暑い夏の日がやってくる。ようやくの晴れ間に喜ぶ人達。しかし、帆高はじっとしていられない。
「みんな、何も知らないで」
この晴れ間の裏には確かに陽菜という人柱があり、人々の喜びは陽菜の「犠牲」の上に生まれたものだった。しかし、恩恵を受けている人たちは彼女の存在すら知らない。そして帆高は、彼女と一緒にいる喜びを失ってしまう。一体どうすればよいのだろう?
犠牲が浮かばれない現代社会
ここには、日本で育まれてきた「犠牲」と「我慢」の文化を強く感じる。
・誰か1人が犠牲になってたくさんの人が助かるならそうすべき。
・他の人に迷惑をかけるなら我慢するべき。
これは利他主義の美しい文化かもしれない。しかしそれと同時に、不平等極まりない文化でもあるだろう。
そして、「自己責任」が象徴する合理的で成果主義的な価値観と、「空気を読む」が象徴する無言の圧力と強迫観念。
多くの場合、犠牲を選んだ者によって助けられた人達は、その犠牲の存在も、そんなことがあったことすらも知らずに過ごしていく。そして、仮に、彼ら彼女らにその力があったとしても、自分ならやらないと思う人が少なくないのが現代社会だろう。それは、自分を犠牲にするほどの他人との親しさや共有が極端に少なくなってきたことが原因だと思う。人と人の関わりが希薄になっているためにお互いを知る機会が少なく、身近で困っている人がいても、何を困っているかが想像できない。だから手を差し伸べることを思いつけない。それが現代都市の群像だと思う。そしてそれは、都市の支配を受ける田舎にもじりじりと広がっている。 犠牲は「空気を読む」ことによって誰かに強いられ、その人が犠牲を選んだ後は「自己責任」で片付けられる。そんな社会の中では、そんなことも少なくはないのではないか。しかしこれでは、みんなのために犠牲になる人が全く浮かばれない。
・そんな社会に「自分を犠牲にしても守りたいみんな」はいるだろうか?
・そんなみんなのために、陽菜は犠牲になる必要があるのだろうか?
・そして、帆高は陽菜を失う必要があるのだろうか?
画面からそんな問いかけが投げかけられていた。
幸せを選択すること
クライマックス、大人の事情や社会の決まりを振り切って、帆高は陽菜を迎えにいく。そしてその後、帆高は島に帰るのだが、陽菜が地上に戻って以来雨は降り続き、東京はすっかり姿を変えてしまう。帆高はずっと考えつづけていた。それは、陽菜を犠牲にすることではなく取り戻すことを選んだ自分に対する自責の念だろう。
3年後に再び上京した帆高に、須賀はこう投げかける。
「お前達が世界を変えたわけじゃない」
「どうせ世界は狂ってるんだ」
それでも帆高は
「あの時僕たちは世界を変えたんだ」
という思いを抱きながら陽菜に会いにいく。
この時の彼の言葉には迷いはない。
「世界を変えても好きな人と一緒にいることを選んだ」
という強い意思が現れていた。
このクライマックスに、私はこんなメッセージを感じた。
狂っている世界のために、誰も犠牲になるべきではない。
ひとりひとりが幸せになることを選べばいい。
そのためには、日本人の無意識に刷り込まれた概念をぶち壊していくことが必要だろう。
新海監督は、この映画でオリンピックの前の東京の姿を残しておきたかったと話していた。そして物語には東京の街がそのままの姿で描かれていて、最後には、多くの地域が水に沈んだ東京の姿が映し出されている。オリンピックの後に、こんな狂った世界が現れている可能性だって、全くないわけではないだろう。水没しなくても、荒廃した街が広がっている可能性だってある。その世界を変えることはできるのだろうか?
答えはYES。この映画はその意識転換のきっかけを生み出す可能性を秘めていると感じている。
世界が美しく、幸せであるように、祈っていこう。
誰も犠牲にすることなく、ひとりひとりが幸せに包まれたまま暮らせるように。
自分と世界を幸せにする選択ができるように。
音楽は引き続きRADWIMPS
#天気の子 #新海誠
痛みは自分のものじゃない1=ヴィパッサナー瞑想とアクセス・コンシャスネス=
この痛みは誰のもの?
アクセスでは、痛みの99%は自分のものではないというんですが、
だって、めっちゃ痛いじゃん! これって私の痛みでしょ!
って、思いますよね。普通。
実のところ私も、頭では分かっているけどなんか納得しきっていない感じが残っていました。
だって、めっちゃ痛いんだもん!😝
それが、今回のエンティティのいたずらでどう変わったかをお話しましょう。長いけどチャンネルはそのままで!👍
例えばこんな考え方も
話は昔に遡って、実は私、15年くらい前までヴィパッサナー瞑想にどハマりしておりました。2年半くらいの間、年の半分くらいを瞑想センターで過ごし、瞑想三昧の暮らしをしていたんですね。それは「知りたいことがあったから」なのですが、その話はまたの機会にするとして、そんなわけで、すっかりヴィパッサナーが自分の暮らしのベースになっていたので、いろんな事象をヴィパッサナーに置き換えて理解する癖がついてたんですよ。なので最初に、ヴィパッサナーからみた「痛い」についてざっと話しちゃいます。
超ざっくりいうと、ヴィパッサナー瞑想は「感覚」と「感覚への反応」を観察することで自我からの解放を進めていく瞑想法です。「自我」というのは「私」という意識のことです。
やり方はシンプルで、静かな空間で意識を細やかにし、感覚が生まれた時にいつものパターンで反応せずに静かに観察を続けていくこと。それによって、無意識の思考や行動パターンが変化するんですね。
痛みへのアプローチもこれと同じで、意識が痛いという感覚に飲み込まれない状態で観察していくと、痛みの感覚がどんどん変化していき、そのうち消えてしまいます。逆に、痛いという感覚に反応すると、過去に経験した痛いをどんどん思い出し、未来に起こるかもしれない痛いの発展形をどんどん妄想し、自分の中にある今の痛み以上の何かを感じるようになります。
これは、肉体的感覚だけでなく精神的な感覚も同じで、忘れられない思いや心の痛み、好き嫌いなども、反応しないで観察していると同じように消えていきます。
そして、さらに感覚を細かく観察していくと全てが緩やかな波になり、自分とまわりの境界がなくなります。そして、何も無くなります。こうやって「全ての物質はこの波動のつながりでできていて、そもそも「私」という存在はない」ことを体験するんですね。
問題を起こしているのは「自分」という意識、つまり「自我」。なので、自我のない本来の状態になれば私の痛みはないのです。そしてこの状態は、気づきがあり、何事も判断しない状態の意識から生まれています。
古代インドの瞑想法(ヴィパッサナーの起源は、ブッダ没後にミャンマーに伝わった出家者向けの瞑想法とのこと)は今でいう小乗仏教なので、個人の悟りを目的としています。それは自我から自由になることで悟りへ近づくという考え方で、修行を続けることが必要とされているんですね。ヴィパッサナー瞑想も丸々10日間無言で過ごし、アイコンタクトもボディータッチも禁止。全くひとりきりの感覚の世界で過ごします。最初はきつかったりもしますが、慣れると超快適♬なので、興味のある人は試してみるといいかもしれないですね。
アクセス・コンシャスネスのお気楽さ
ところがですね、アクセス・コンシャスネス(以下アクセス)は、
修行いらない
楽しよう
楽しもう
同じやるなら今すぐに!
という、超お気楽主義。
おかし食べながら、ゲラゲラ笑いながら、好きなことをやりながら、楽に解放されたらいいじゃん! ってのが基本的なスタンスで、修行と比べるといろんなことが
マジですか!!!いいんですか、それで!!!!
って感じなんです。Oh , Yeah 👍
アクセスがアプローチするのは「エナジー」。
言葉やボディータッチを使って、自分や相手の思考や言動を生み出しているエナジーを変化させていきます。アクセスにはマントラ、たくさんの問いかけやクリアリングがありますが、それらを使う時に重要なのは、言葉のエナジーを感じること。思考を使って言葉の意味を理解することではなく、言葉が持つエナジーを感じ、そのエナジーになることで変化を生み出すんです。
それに役立つのが、
アウェアネス(気づき)
コンシャスネス(覚醒した意識)
ジャッジメント(判断)をしない
の3つ。
これはヴィパッサナーとも共通していますね。エナジーに境界はなく、「私」はないというのも同じです。
なんですが、私が大きく違うと思うのが、ヴィパッサナーが物質的感覚からアプローチを始めるのに対して、アクセスは常にエナジーからのアプローチをしているところなんですね。物質世界で物理的感覚よりも強くエナジーを感じるには、肉体的、物質的な境界意識を意識しないほうがやりやすいんです。そのためには、他者やまわりの環境と自分を区別したり、外からの影響を受けないようにするために無意識に作っているバリアをさげることが大事になります。
そして、これが結構、他のいろんなメソッドと違うところでもあります。初めて聞くと怖い感じがするのですが、一度その変化を感じてみるとなるほどと思うことがいろいろ起こります。
だから、まわりのエネルギーから痛みを感じないために作っていたバリアが逆に、痛みが消えていくのを邪魔していたなーんて、衝撃の事実!に出会ったりするんですよ。
ええ、ええ、、、そうなんです。今回はそれを思い知ったわけですね。
…「痛みは自分のものじゃない2」に続く